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Channel: ogm373@oreikemenw –銀魂のほし
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認知症でも覚えているよ

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私は介護付有料老人ホームで働いているのですが、施設にはいろんな方がいらっしゃいます。
寝たきりで胃瘻の方、身体は動かせるけれど声を失ってしまった方、一見すると元気に歩いているけれど病気による急変が不安で入居されている方。
認知症が進み、常に見守っていなければならない方は専用のフロアに入居されていますが、それ以外のフロアは元気な方から胃瘻の方まで、実に様々な状態の方が入り混じっています。
私が所属するのはそんな「混在フロア」ですが、いちばん気になっているのが「もう1、2段階進行したら認知症フロアかも」というおじいさんです。
元気な頃は亭主関白で実に厳格な方だったそうですが、現在は発語こそ減っているものの、いつもニコニコしながら車椅子を足こぎであちこちふらふらしています。
本来であれば失礼にあたるのですが、スタッフは親しみを込めて「◯◯じい」と呼んでいます。
(以下、仮名として「とみじい」と書きます)先述の通り、とみじいは滅多に喋りません。
こちらから話しかけると受け答えはしてくれますが、自分から話すことはほとんどなし。
たまにあっても、心のなかで時代が逆戻りして「おかあさんはどこですか」といった具合。
昔のことを質問してみても、普段は「どうだったかなあ」と思い出せません。
スタッフが「こうだったよね」と言うと「ああ、そうかもしれないね」という反応がたまにあるくらい。
もちろん、長い付き合いのスタッフの名前も覚えていません。
年を取るにつれていろいろいなことが思い出せなくなり、忘れてしまうのは必然的なこと。
とみじいが穏やかなおじいさんになったのは、亭主関白だった頃に抱えていたいろんなことを忘れたからなのかな。
それなら、忘れてしまうことも悪くないような気がしていました。
介護職の勉強をしていた時に、「認知症の方は出来事などを忘れてしまっても、その時の感情は心に残っている」ということを教わりました。
毎日ニコニコしているとみじいは、何度か車椅子から転げ落ちたことがありました。
でもとみじいの心には「痛い」という記憶はあっても、「不用意に立ち上がって転ばないようにしよう」という私たちがごく当たり前にしている考え方ができなくなっているのかもしれない。
そう考えると、「忘れてしまうことも悪くない」という自分の考え方がとても非情な気がしてきます。
ところが先日、自分がどれほど無理解であるかを痛感させられる出来事がありました。
いつも私は眼鏡をかけているのですが、その日は珍しくコンタクトをつけて出勤していました。
家を出る時、あまりに寒いので防寒具代わりにマスクをしたのですが、マスクをしていると眼鏡が曇るからです。
出勤すると、食堂でテレビを観ているとみじいがいました。
前日まで珍しく2連休だったので、私はとみじいの真正面に行き冗談交じりにこう声をかけました。
「とみじい、お久しぶりです。
私のこと覚えてる?」すると、とみじいは私の顔をじーっと見てこう言いました。
「今日は眼鏡じゃないんですね」私を含めてその場にいるスタッフ全員、絶句しました。
入社してまだ半年ほどの私ですが、「なんとなく見たことがある顔だな」レベルの認識はされるようになっていました。
(入社後しばらくは「初めまして」と言われることが当たり前の状態でした)でも、いつも眼鏡を掛けていることは覚えていたんだ。
フレームがないタイプの眼鏡なので、あまり目の良くないとみじいは眼鏡には気づいていないかもと思っていたのに。
とみじいが施設に来てから他に何かを覚えたのか、今のところはわかりません。
なぜ私の眼鏡を覚えたのか、そのきっかけもわかりません。
ただ、その日からすべての入居者様に対する私の態度は変わりました。
視界に入ったらとにかく一言でも声をかけ、こちらを見てもらう。
時間があれば、あまり接触することのない入居者様であっても立ち止まって話をする。
どういう理由でもいいから私というひとりの職員を記憶のどこかに留めてもらい、とみじいのように「だいぶ認知症が進んでいても覚えられる」という、ささやかな奇跡を見せて欲しいから。


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